息子二人暮らし日記  

いろんな感情は最終的に「嬉しい」か「さびしい」の2つかもしれないという話

いろんな人の心のしこりが溶けていくのを目の前で見てきた。
自分のしこりも含めてもしかしてその心のしこりの最終物はさびしいなのかもしれないと思った。
そして、しこりが溶けた後の感情は嬉しいなのかもしれない。
なんてことをぼんやり思った。

感情には、怒りや悲しみもあるのだが、それらも最終的にはさびしいに分類されると思う。

この前こんなことがあった。
会社の上司が手がふさがっており、私に顎で開けろと指示した。さっとドアを開けて彼を通したが、その彼が何も言わず当たり前のように通り過ぎていくのを見て、「ありがとうの一言くらいいえないのか!」とかなり怒りがこみ上げた。(その人が「ありがとう」と言っているのを聞いたことがない)

珍しくその怒りが数日続いた。
そう。その感情は「怒り」。
・・・だと思っていた。

寝れなくて夜天井を見つめてその上司の彼のことを考えていた時に、「あ!」と分かった。
「私はいつもその上司のためにいろいろやっていて、認めてほしかったんだ、ありがとうって言ってほしいんじゃなくて、私の存在を認識してるって感じたかったんだ」と分かった。
それがわかると、怒りがすっと消えた。

つまり、その怒りの本当の原因は、「さみしさ」だったのだ。

そして、寂しい気持ちを誰かに理解してもらった時、人はなぜか「嬉しい」と感じるように思う。寂しいという感情は一人では消化できず、誰かに受け止めてもらう必要があると思っている。「そうなんだね、寂しいんだね」と受けてもらうと、寂しさが暖かさとともに消え、「嬉しい」が残る。さみしいと嬉しいは共存しない感情なのではないかと思う。

人間関係に悩むことも多いが、それはすべては寂しいが原因なのではないか。悲しいもイライラも辛いも、寂しいの変化形。自分の寂しさはどこにあるのかを理解できれば、もう少し上手に自分と、いろんな人と付き合っていけそうな気がする。

嬉しい、はまだよくわかっていないのだけれども、嬉しい気持ちは隠さず共有するのがよさそうな感覚だけある。「私は嬉しいんだー!幸せだー!」と声を大にして伝えたほうがいい。嬉しさを伝播させたほうが世界が笑顔になるからだ。(寂しさも伝播しちゃうから注意が必要)。

なんとなく頭にあることを言葉に出してみました。
おしまい。


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