駅のエスカレーターを昇るとき、階段を下りるために列を作っているとき、さっと自分の目の前に人が入ってきたら、イラっとするのは私だけだろうか。
最近は割り込まれないために、前の人との距離を詰め、右足・左足の出す足もそろえて距離を縮めたりする。(下手くそなので前の人の足を蹴ってしまいよく謝る)
この必死さは何だ・・・。
とある日我に返った。笑
前に人が割り込んできてもいいじゃないか、減るもんじゃない。大幅に遅れるわけでもなし。
なぜ私はこんなに必死なのか。
前に割り込まれると、イラっとする。
なぜイライラするのか?を自分に問うてみた。
・・・ばかにされたような、見くびられたような、下に見られたような気分になるから。
えーーーーーー!!!
そんなこと自分考えてたのーーーーーーー!
なんか、ちっちゃーーーーーーー!
と自分で驚いたのだが、そう思って必死に割り込まれないようにしていた。
「こいつ、ちょろいな、前入ってやろ」
そんな感じに思われるのがイヤだなーと思っていたのだ(誰も思っとらん)。
きっとたまたま間が空いては入れそうだったから入ったまでで、私を下に見たりしてないやろ。
なんか冷静に考えたら、必死になっている自分がばからしくなった。
そんなのにパワー使うなら、間に入れてもらうときに軽く会釈をしたり、前の人にぶつかったときにごめんなさいが言えたり、そう言うことの方が大事で、相手の気分も害しないし、みんな幸せになるなーと思った。
小さなことだけど、こういう前向きさや、自分本位な行動を相手のための行動に変えることで毎日の生活が豊かなものになるような気がした。